2015年11月24日付 東京新聞 夕刊に、
「警察誘導、虚偽自白の疑い 詐欺事件 審理差し戻し」 の見出しの記事が掲載された。151124東京新聞夕刊

詐欺罪などで地裁で有罪になった男性が、東京高裁において、捜査段階で警察官から「余罪を立件しない」などと利益誘導され、虚偽の自白をした疑いがあるとして、原判決を破棄し、審理を差し戻したと報じている。

刑事司法改革の関連法案で、司法取引を導入するかが議論されて中で、反対派の意見として指摘されている「冤罪を生む温床になる」ということが、この事案からも明らかだ。これが被疑者だけでなく、共犯者も含めたものになれば、自己の利益のために虚偽供述がますます増えることは目に見えている。

ここで、司法取引について検討してみよう。

1、司法取引とは
基本的人権を尊重する大原則に基づくなら、刑事司法の鉄則は「無辜の不処罰」であり、何人も有罪が確定するまでは無罪を推定されなければならない、という「無罪推定の原則」が厳しく適用されなければならない。
「無辜の不処罰」とは、「たとえ10人の真犯人を逃すとしても、1人の無辜を処罰してはならない」というものである。「無辜」とは無実の人間のことである。

まずは、日本の司法取引につて確認しよう。
・司法取引は、「裁判において、被告人と検察官が取引をし、被告人が罪状を認めるか、あるいは共犯者を法廷で告発する、あるいは捜査に協力することで、求刑の軽減、またはいくつかの罪状の取り下げを行うこと」である。
・裁判に要する時間と費用の節約や、主犯を有罪に持ち込む供述を従犯から得るなどの目的で行われる。
・司法取引は、純粋型司法取引(被告人の有罪答弁と引き替えに検察官が訴因の縮小、求刑引下げ等の譲歩を行うもの)と、捜査協力型司法取引(捜査協力・証言の見返りに譲歩を行うもの)に分けられるが、現在導入が検討されているのは「捜査協力型」のほうである。
・日本の司法取引は捜査当局側が導入を求めている。

2、司法取引導入のメリットとデメリット
この制度は、多くのメリットとデメリットがある。
【メリット】
・無駄な公判がなくなる⇒裁判官、検察などはより重要な事件に特化できる
・オレオレ詐欺や銃器・麻薬の密輸などの組織犯罪で黒幕に迫れる
などがある。

つまり効率的に裁判や捜査が行えるということである。

【デメリット】
・(罪を逃れる、軽くするための)偽証による冤罪
・高度な取引となるため、優秀な弁護士を雇える人(お金のある人が有利)
などがある。

この二つは、相反する考え方になる。
導入賛成側にある考え方は、
「裁判の効率化」が中心にあると思う。
じっくり審理を重ねるよりも、早めに妥協点を見つけよう、大きな犯罪を効率的に根絶していくには、小さな罪には目をつぶろうという考え方である。

一方の否定側は、
「真理の追究」という哲学が背後にあると思う。
真実を見つけ審判を下すのが司法の役割であり、そもそも真実を見つけるということは時間がかかるものであるが、そのことが司法に正当性を与えている、という考えである。

3、司法取引の功罪
犯罪捜査では、真犯人を捕まえる以外に被疑者の犯罪を立証する事や 冤罪を生まない事もとても重要である。
司法取引のメリットに着目するかデメリットに着目するか、これは、哲学的な議論である。
この問題は、メリットもデメリットも拮抗していると思う。

この考え方のどちらに賛同するかは、選ぶ側の人間の世界観(価値観)に大きく依存する。
つまり、「真犯人に適正な処罰を」を第一に考えるか、「冤罪を出さない」を第一義的に考えるかである。

賛成派は、問題点として指摘の多い冤罪のおそれ・虚偽の誘発については、取引された上での証言だという事実の開示・反対尋問による吟味によって慎重な判断を受けるので証明力の問題として扱うべきであるという反論し、そのほか、補強証拠を持って丁寧に審理するので問題はないとする。

ここで、現状をみてみよう。
日本の刑事訴訟制度では、実質上の司法取引、あるいは脅迫等による自白の強要が行われる。
罪を認めれば早期に釈放する。罪を認めれば、裁判でも執行猶予判決を獲得できる。こうした利益誘導が行われる。
検察は、「認めれば執行猶予」の言葉で、うその自白を引き出す。

被疑者の側に立って、このゲームを見る場合、何が合理的行動になるのかは明白である。
真実に沿って否認する場合、勾留期間は延長され、その後に長期にわたる裁判を戦い抜いても、無罪となる確率は限りなくゼロに近い。最高裁まで闘えば、長期の時間と膨大な費用が累積され、挙句の果てには有罪確定と実刑が待っている。

これに対して、検察の誘導に従って事実を捻じ曲げて罪を認める調書作成に応じれば、保釈によって勾留から解放され、裁判は短期間に終了し、判決では有罪だが執行猶予が付く。執行猶予とは事実上、刑が執行されないことを意味している。

こうした利益誘導によって、無実の人間が罪を認めてしまうことは決して少なくない。

複数の被疑者が存在する事案で、そのなかの一人が、事実に反して罪を認める供述を行うと、他の被疑者にまで累が及ぶ。無実の真実に沿って無罪主張を貫く結果、長期勾留、裁判長期化、実刑判決の結果が待ち受ける。
同じ罪でありながら、うその自白で罪を認めた者は執行猶予となり、罪を認めなかった者は実刑を受けることになる。また、取調べに際して、取調べの職員が、罪を認めなければ、被疑者の家族や関係者を苦しめてやるなどの脅迫を繰り返すことも多い。

多くの被疑者がこの取引に応じて、無実の罪を認めて執行猶予つきの有罪判決を得るのだ。

こうした現実のなかで、多数の冤罪事案が生み出されている。

4、今回の司法改革の目的は何のか?
今回の改正は「冤罪をなくすること」を目指しているのであるから、目的に沿った改正が行われるべきである。

司法取引の導入により、冤罪がむしろ増えるのではないかという懸念が払拭される制度ができるまでは、導入を見送るべきであろう。
現在でも、冤罪の原因を観ていくと、真実に基づいて、最後の最後まで無罪主張を貫くことは、口で言うほど容易なことではないことがわかる。

中には、自己の尊厳を何よりも重んじ、たとえ長期拘留や実刑判決が待っていても、無実の事実を曲げて自白することを拒む人もいる。
しかし、多くの人々は、現実的な視点から利害得失を計算して、検察が提示する司法取引に応じてしまう。「執行猶予」と「実刑」の相違は、「無罪」と「有罪」の相違よりも大きいというのが、偽らざるところである。「無罪」にならなくてもいいから、「実刑」を回避したいと多くの人が思ってしまう。
有罪と無罪の相違は「名」の世界における相違だが、実刑と執行猶予の相違は「実」の世界における相違である。「名」は大事だが、「実」の重みは現実社会生活である。「実」を重視して「名」を捨てる者が続出することを、誰も責めることはできない。

そのことが起きないように、取り調べの全面可視化、証拠リストの全開示、取り調べに際しての弁護士同席、共犯者の供述書は証拠として認めない、など先に解決する問題がある。

さらに、弁護士正義の切り口でいえば、司法取引が認められた場合、被疑者・被告人から責任を軽くするために司法取引を頼まれた場合、その利益を擁護すべき弁護人としてこれを拒否できないであろう。
しかし、捜査段階では証拠資料が開示されないため、被疑者・被告人の供述が正しいかどうかをどのように判断できるのか。根拠をもって、被疑者・被告人の供述内容の真偽を判断するのは難しい。供述が結果的に虚偽だった場合、その弁護人は他人を冤罪に巻き込むことに加担することになる。

さらに言えば、「執行猶予」の制度の廃止も検討に値すると思う。この制度を利用して、検察はウソの自白を強要するのであるから、制度を変更して、「執行猶予」ではなく、「刑期圧縮」とするということも検討に値すると思う。
「実刑」には変わりなく、ただ、「刑期が圧縮される」だけでは、多くの人はウソの自白を選択しないだろう。

私は、刑事司法は、「効率を最重視してはいけない。冤罪は国家による犯罪であるから、それを防ぐことを第一義的に考えるべきである」、さらには、「「真実」や「罪、罰」というものは、《取引》するものではない。検察が証拠を持って立証すべき」と考える。

5、「自己の利益のための選択」についていえば、
司法取引に応じる被疑者や被告人にとって、自己の利益で判断して何が問題なのだ、ごく自然なことだ、と考えることもできる。

しかし、問題はその前にある。
検察側から司法取引を持ちかけられ、これぞ自己の利益だと思い込まされて司法取引に応じた場合、それは果たして、司法取引に応じたと言えるのかという点である。

単に騙されただけではないのか。 何が被告人の利益かという点について、身柄を拘束され、情報を制限されている当事者が、どこまで正確に自己の利益か否かを判断できるのかである。
自己の利益を判断するにあたって、きちんとインフォームド・コンセントされた上で、判断できているのかが重要になる。その判断のときにこそ、弁護士が必要となる。
このときに問われるのが、「弁護士の正義」そのものである。

公共の福祉に反しない(他人の権利を侵害しない)限りにおいて、個人の選択は自由である。
例外として、緊急避難、正当防衛等の自己の正当な利益を守るために、公共の福祉に反する、あるいは他人の権利を侵害するとしても、やむをえない場合もある。
自己の利益のための選択は、前記例外以外には認められないから、誰かを罪に陥れることで、自己の利益を得るような虚偽供述による司法取引は許されるべきではない。

したがって、このリスクを排除できるだけのシステムの構築が予定されるまでは、司法取引を導入するのは差し控えるべきである。例えば、司法取引による起訴の場合は、その旨明示し、その供述を証拠採用せずとも、補強証拠等で立証するなどの制度などが挙げられる。